2016年09月08日
なぜ、岩田聡さんに対する興味は尽きないのか?
本日、9月8日のNHK18時10分からの放送分「ほっとニュース北海道」では、亡くなった前任天堂社長・岩田聡さんの特集が組まれるようだ。特集のテーマは「岩田聡さんとポケモン」との事。亡くなって1年以上経っている今、再び岩田さんが話題になっているのは、札幌南高校の同級生が編集した電子書籍や、次世代機ニンテンドーNX、そして、スマートフォンアプリ進出の話題と岩田さんの蒔いた種が芽吹いてきているからであろう。最近の話題は、グーグル系のナイアンティック社とのポケモンGOだったが、本日未明にはiPhoneアプリでも「スーパーマリオRUN」がサプライズ発表されている。岩田聡さんは相当、グーグルをリスペクトしており、ポケモンGOだけでなく、グーグルの検索をテーマにしたゲームを共同開発しているぐらいだが、アップル社と提携する決断もしていたようだ。中学生の岩田少年は札幌地下街にあった電電公社のショールームで、時間貸しのコンピューターゲームに熱中していたのだが、そのショールームには全世界のパソコン愛好者の憧れ、Apple Uやその後、購入する事になるプログラマブル電卓や岩田さんの人生を変えるコモドール社のPET2001も展示されていた。本当は、Apple Uが欲しかったのだろうが、当時、安さと性能、使い易さが画期的だったPETを大学入学祝いとバイト代で購入したそうだ。そして、熱中して熟練したPETの搭載チップと任天堂ファミリーコンピューターのチップが同類だった事から、任天堂との不思議な縁が出来る。だが、岩田聡さんにとって、アップル社の二人のスティーブは憧れの存在のままだったのだろう。後、スティーブ・ジョブズ氏はE3の岩田さんのプレゼンテーションの同時刻に、自身の開発プレゼンテーションをぶつけるなど、ライバル心を剥き出しにするようになった。憧れの人にライバル視されるなんて、最高の気分だったろう。今になっても、多くの人が興味をもって彼の事を語るのは、岩田聡さんのアイデアが今だに世界をワクワクさせているからだろう。NXの他にも、岩田さん肝いりの任天堂QOLという企画も登場していない。岩田聡さんの事はまだまだ語り足りないのだ。
2016年08月15日
「再生・再建」は岩田家のお家芸?
北海道に限って言えば、岩田聡氏よりも、氏の父親である岩田弘志氏の方が馴染みのある方が多いかもしれない。室蘭市長を4期16年勤めた市長だからだ。岩田聡氏が、札幌生まれ、札幌育ちの真駒内出身であるのは、そこに道職員住宅がある為だ。ただ、岩田聡氏は父親(弘志氏)の仕事が道庁の観光課であった為、全道各地への転勤もあり、新しい学校に馴染めず、いじめられる事もあったと述べており、幼少期は札幌以外でも過ごしているかもしれない。弘志氏の北海道庁でのキャリアハイは、商工観光部長であったが、その前には胆振支庁(広大な北海道庁の地域分け単位で、胆振支庁は室蘭市に置かれていた。)のトップ等も歴任していた。その後、胆振支庁トップの経験を買われ、財政破綻危機となった室蘭市の再建役として、岩田弘志氏に白羽の矢が立った。もともと、1970年代前半から室蘭市は「鉄冷え」が深刻になり、労働者保護と失業対策最優先の急進派の社会党系市長が2期務めた。それまで、室蘭の市長は市役所関係の生え抜きが担当していた所に、急進左派の市長が誕生した為、鉄冷えに加え、市政も混乱し、財政再建団体の一歩手前になっていた。当時の室蘭市は、道内人口トップテンに入るだけでなく、人口密度だけで言えば、札幌市に次ぐ都市であった。しかも、当時は既に札幌市が政令指定都市として独自性を持ち、道庁の管理から離れていた為、道庁内での工業都市室蘭の重要性がますます高まっていた。事態を重く見た道庁はエース級道庁マンを室蘭市長に送り込む決断をしたわけだ。55歳で商工観光部長という当時の道庁要職にいた弘志氏は、そのまま道庁に残留していたら、まだ、上があったかもしれない。いくら、道庁の指示といっても、選挙をパスする必要があるし、市長になったところで財政破綻寸前の自治体経営などイバラの道だ。「私にはこんな大任は荷が重すぎます。」と言って拒絶しても、非難される筋合いは無い話だ。結局、弘志氏は立派に「火中の栗を拾う」役目を果たす。聡氏が札幌南高校を卒業する同じようなタイミングで、道庁を退職し、選挙に当選し室蘭市長としてのキャリアをスタートさせる。その後、室蘭市の19万人いた人口が、文字通り半減したのだから当然だが、室蘭市にも激烈なリストラの必要があり、その前提条件として財務の透明性が求められた。弘志氏は外部からの財務調査を受け入れるなどの思い切った手を打って難局を切り抜ける。と、同時に「白鳥大橋」の建設を決断するなど、攻めの政策も行った。室蘭市は上辺北側が陸地と繋がったコの字地形の港湾都市で、構造的な問題として、コの字の端同士は海なので行き来ができない。しかも、室蘭市の中心地はコの字の下辺側にある。この地形が渋滞や周辺部の土地開発を阻害していたのを、南北に橋を繋げる事で一気に解決しようとした。コの字から、ロの字にするわけだ。1000億超えの建設費と、50億円の年間維持費がかかるとされていたが、財務再建の目処をつけた弘志氏は、白鳥大橋建設を決断する。しかし、一難去って、また、一難で、今度は室蘭市を支える製鉄所の撤退騒動が持ち上がる。全市挙げての残留運動で何とか、引き止めに成功し、弘志氏は名市長として引退する。中心産業の製鉄業だけでなく、観光課上がりの弘志氏は室蘭の観光地に力を入れる。もともと、室蘭市は登別温泉や洞爺湖温泉の二大有名温泉街に挟まれている。そこでチキウ岬や周辺海域でのイルカ・クジラ鑑賞、マリンスポーツのアピールに力を入れた。関東以北最大の吊り橋である白鳥大橋自体も観光名所化した。今年、北海道新幹線開通に合わせて、森町と室蘭市の間で、 森蘭航路を復活させたが、その目玉はホエールウォッチングも可能という事だ。また、弘志氏が死守した製鉄所群も、加工時に副生ガスとして、水素を発生させる特徴がある為、安倍政権が推進する水素社会への戦略都市の一つと見なされるようになった。弘志氏の蒔いた、もしくは、死守した種が実を結びつつあるようだ。
一方、聡氏も父親の後を継ぐが如くに、HAL研究所の再建という「火中の栗」を拾う事になる。しかも、室蘭市長になった弘志氏は、HAL研究所に就職しようとした聡氏に激怒し、聡氏の担任教授だった東京工業大学の教授に、辞退するように息子を説得してほしいと懇願した事もあったそうだ。室蘭市長から息子の説得を懇願された教授は面食らったろうが、最終的には教授が、この室蘭市長である父親を説得するような形になったそうだ。あっぱれな話だ。そんな経緯があったのに、想像以上に早く、聡氏は火中の栗を拾う羽目にあったのだから、父親としては複雑な気持ちだったろう。しかし、血は争えない。結局、息子も父親と同じように、破綻企業を立て直し、名経営者と言われるようになる。
一方、聡氏も父親の後を継ぐが如くに、HAL研究所の再建という「火中の栗」を拾う事になる。しかも、室蘭市長になった弘志氏は、HAL研究所に就職しようとした聡氏に激怒し、聡氏の担任教授だった東京工業大学の教授に、辞退するように息子を説得してほしいと懇願した事もあったそうだ。室蘭市長から息子の説得を懇願された教授は面食らったろうが、最終的には教授が、この室蘭市長である父親を説得するような形になったそうだ。あっぱれな話だ。そんな経緯があったのに、想像以上に早く、聡氏は火中の栗を拾う羽目にあったのだから、父親としては複雑な気持ちだったろう。しかし、血は争えない。結局、息子も父親と同じように、破綻企業を立て直し、名経営者と言われるようになる。
2016年08月14日
ハドソンと岩田聡青年。
2015年事実上経営破綻したスカイマーク。言わずと知れた、格安航空会社の雄で、道民の翼「エアドゥ」の同時期参入のライバルであった。そして、経営破綻時に、ひっそりスカイマークの社外監査役から外れたのが、中本伸一氏だ。中本氏はサッポロバレーの生みの親・北大工学部青木由直氏の門下生で、大学時代のバイト先のハドソンでエースプログラマーとして活躍し、ハドソン創立者の工藤兄弟に次ぐナンバー3となり、飛躍の原動力となる。ちなみに、中本氏は岩田聡氏とほぼ同世代で、岩田青年も地元の赤丸急上昇ソフトウェア企業・ハドソンへプログラム電卓で作成したゲームを持ち込んだそうだ。岩田青年はあわよくば前述の野球ゲームをハドソンに売ってしまおうと思ったそうだが、売買は残念ながら成立せず、代わりに3本ほどソフトをプレゼントされたそうだ。また、岩田青年が購入したプログラム電卓のメーカーであったヒューレット・パッカードの日本代理店にも、ゲームを送りつけたところ、そのクオリティに驚かれ、札幌の自宅宛に一般ユーザーには公開されていないプログラム電卓の仕様書や参考資料をプレゼントされたそうだ。純粋に作品を見てもらいたいという気持ちもあるのだろうが、高校時代に既に岩田青年のゲームやコンピューター業界への「就職活動」は始まっていたのかなと感じる。「ボンバーマン」やPCエンジン開発の中本伸一氏と数々の任天堂・HAL研究所の名作を生み出した岩田聡氏が、ひょっとしたら同じハドソンに集っていたかもしれない。ところが、自作ゲームを持ち込んできた高校生・岩田青年は、25年後、ハドソン飛躍のきっかけになった提携先・任天堂の社長になるわけだ。
もう一人、岩田聡青年と同世代の人物を取り上げよう。ハドソンのマスコット的存在となった高橋名人だ。詳細は次回にするが、中学生の時にコンピューターに出会った岩田氏とは違い、高橋名人がコンピューターを購入したのは社会人になってからだ。短大在学中、スーパーの札幌フードセンターでバイトをしたが、バイトに熱中し、中退、そのまま入社したが、仕入伝票の整理のあまりの大変さに、個人的にシャープのコンピューターを購入して解決しようとした。しかし、その月賦の支払いの多さに絶句。元を取る為に、フードセンターを退社し、コンピューターのカルチャースクール講師になって生計を立てようとする。その後、高橋青年はコンピューター業界に流れ、ハドソンにたどり着く。ハドソンの営業担当になった事が、高橋名人誕生のきっかけだ。ツッコミどころ満載だが、運命なのだろう。そもそも、ハドソンも工藤さんが喫茶店をやろうとしたビルに既に喫茶店があり、趣味の無線ショップに商売替えをして店舗をオープンする。スープカレーのマジックスパイスも、ラーメン屋をやろうとしたが、契約した場所の隣にラーメン屋があって、急遽、スープカレーメインの店に変更してオープンしたそうだ。なんていい加減な!でも、その後に大成功するのだから、世の中わからない。
もう一人、岩田聡青年と同世代の人物を取り上げよう。ハドソンのマスコット的存在となった高橋名人だ。詳細は次回にするが、中学生の時にコンピューターに出会った岩田氏とは違い、高橋名人がコンピューターを購入したのは社会人になってからだ。短大在学中、スーパーの札幌フードセンターでバイトをしたが、バイトに熱中し、中退、そのまま入社したが、仕入伝票の整理のあまりの大変さに、個人的にシャープのコンピューターを購入して解決しようとした。しかし、その月賦の支払いの多さに絶句。元を取る為に、フードセンターを退社し、コンピューターのカルチャースクール講師になって生計を立てようとする。その後、高橋青年はコンピューター業界に流れ、ハドソンにたどり着く。ハドソンの営業担当になった事が、高橋名人誕生のきっかけだ。ツッコミどころ満載だが、運命なのだろう。そもそも、ハドソンも工藤さんが喫茶店をやろうとしたビルに既に喫茶店があり、趣味の無線ショップに商売替えをして店舗をオープンする。スープカレーのマジックスパイスも、ラーメン屋をやろうとしたが、契約した場所の隣にラーメン屋があって、急遽、スープカレーメインの店に変更してオープンしたそうだ。なんていい加減な!でも、その後に大成功するのだから、世の中わからない。

